ウィーン、指輪で踊れ

南駅から西駅へ

Uバーンの駅から地上へ。
朝は自然に早く目覚めた。
しかも天気は快晴だ。
これは吉兆である。
誰がなんと言おうと。
さあ、音楽の都・ウィーンに繰り出そう!

ウィーンの町の主な公共交通手段は3つ。
ダウンタウンを走る地下鉄・Uバーン、ウィーン近郊を走る電車Sバーン、そして市内を網の目のように走っている路面電車だ。

ウィーンには国際電車が発着する駅が3つある。
ドイツやスイス方面からの電車や、国内のインスブルック、ザルツブルクからの電車が発着する西駅。
ヴェネツィアなどイタリア方面、ベルリン、プラハ経由の電車が発着する南駅、そしてトゥルン、クレムス方面の電車が発着するフランツ・ヨーゼフ駅。

今晩泊まる場所は特に決めていないが、私は全体的にウィーンからミュンヘンに向けて西に向かう進路をとるつもりなので、まずは西駅のロッカーに荷物を預けることにする。
終電を逃してウィーンにもう一泊することになったとしても、西駅なら便利だろうと判断したからだ。

泊まっていたホテルが南駅の目の前だったこともあり、西駅を目指して18番の路面電車に乗る。
しかし、いきなり方面を間違えたらしく、見知らぬ住宅街へ・・・。
あわてて乗客に聞いたところ、わざわざ自分の乗る電車を降りてまで、正しい駅を案内してくれた。
昨日の淑女といい、親切な国だ。
ますます好感を抱く。
人を気遣うのが当然の気風が芽生えているのだろう。

結局また南駅に戻り、南駅で一日フリーパスを購入した。
これがあると、市内のUバーン、Sバーン、路面電車がすべて乗り放題だ。
24時間、72時間、8日間から選べる。
私が買った24時間パスは5ユーロ。
一日電車に乗り倒したので、これはかなりお得だった。

やっと西駅に到着。
本来かかる時間より1時間近くオーバーしてしまった。
まぁ別に急ぎの旅でもないのでよしとしよう。

西駅の目の前にはUバーンのWestbahnhof駅がある。
(経験から分かってきたのだが、「バンホフ」は大きな駅、
「プラッツ」は停留所や地下鉄の小さな駅を指すらしい)
Uバーンを乗り換えて、オペラ座のあるカールスプラッツへ。

ウィーンには日本人の観光客もかなり多い。
町中のあちこちで日本語を聞くことができる。
しかしながら、Uバーンに入ると日本人はほとんどいなかった。
皆観光バスで回っているからなのか、「地下鉄は怖い」というイメージがあるからなのか。

結論から言えば、Uバーンはまったくもって安全である。
カールスプラッツの公園方面出口付近で、どうやらドラッグをキメているらしい若者をちらりと見かけたが、それ以外は別にどうということもない。
便利な市民の足なのである。

オペラ座からケルントナー通りを通って市内中心部を一周する

ウィーンというのは、東京に比べるとまったく小さな街である。
かなりおおざっぱに説明すると、まず、町の中心にはシュテファン寺院がある。これをウィーンのへそと思っていただきたい。

この周りに、オペラ座とシュテファン寺院、王宮を含んで一周している歩行者天国(ノンストップで歩くとだいたい30分くらい)が走っている。

そしてさらにそのその周りには、Ring(リンク)と呼ばれる環状の道路がダウンタウンに走っている。
リンク上には自然史博物館や美術史博物館が点在しており、ほとんどの見所はリンク内にある。
しかも、リンク上には路面電車がまるで山手線のように走っており、見るだけなら電車に乗って一周30分ほどで見られる。
郊外にあるシェーンブルン宮殿にさえ、Sバーンで市内の中心地から20分程度で到着してしまう。
観光するにはもってこいな街なのである。

この日私は、歩いてケルントナー通り周辺を、半日かけて回り、シェーンブルン宮殿へ行き、最後にリンクを路面電車で一周することになる。

前置きが長くなってしまったが、さっそくケルントナー通りを歩こう!
ここは歩行者天国。
各国からの観光客でにぎわう大通りだ。
次にウィーンに来るときは、このあたりに宿を取ったら便利そうだなあと歩きながら思う。
オペラ座から道なりに歩けばシュテファン寺院がやがて現れる。

この写真を撮った直後、礼拝が始まるということで観光客は入場を制限された。
そう、教会はあくまで神とそこに集う人々のための家なのだ。
我々観光客はそこにお邪魔している闖入者に過ぎないのである。

ブリルメンと呼ばれる大きな鐘は、トルコ軍が置き去りにした大砲などを溶かして鋳造したもの。
また、地下にはカタコンベがあり、ペストで亡くなった人々の2000体の骨と、ハプスブルク家の人々の心臓以外の内臓が保管されている。
カタコンベは定時に開催されるツアーでしか入れないのだが、ツアーまで時間があきすぎていたので、行くことが出来なかった。残念。

それにしても暑い。
オーストリアは涼しいし、雨が多いと聞いていたのだが、まったくそんなことはない。
途中あまりに暑いのでオレンジ・シャーベットを買った。

オレンジとミントのまざったおもしろい味だなぁ、と思っていたら、単に私の前の客にミントアイスをすくっただけだったようだ。

シュテファン寺院の裏の路地を歩いていくと、フィガロハウスがある。
ここであの「フィガロの結婚」がモーツァルトによって作曲されたのだ。
モーツァルトはオーストリアの誇り。
彼に関係する場所には、オーストリアの国旗が掲げられている。

入り口は2階。
人々でにぎわうシュテファン寺院から、わずか徒歩5分ほどのところなのだが、驚くほど人は少なく、静かだった。
ここでのモーツァルトの生活は決して豊かなものではなかったというが、なかなかどうして内部は立派な家である。
日本人の感覚だからだろうか。

デメールや、ルイ・ヴィトンなんかがあるいかにも高級な通り、コールマルクトを通り過ぎる。
オーストリアに限らず、ヨーロッパの味付けは私には基本的にちょっと塩っ辛い。
水を飲みつつ食べるが、量が多かったので結局1/3くらい残してしまった。

ご飯を食べながら、今夜の行き先を決める。
ハイシーズンの今、あまり小さな町は危険だろう。
西にあるそれなりに大きな町・・・。
地図を見て、リンツに今夜の行き先を決める。
リンツはウイーンとザルツブルクのちょうど中間くらいの駅。
ウイーン、グラーツに次いでオーストリアで3番目に大きな都市だ。うん、ここにしよう。

ええ?!シェーンブルン宮殿がハプスブルクの居城じゃないの!?と思っている人、いませんか?はい、私でした。
考えてみれば、あんな不便なところに政府が置かれるわけがない。
この王宮は650年もの間ハプスブルク家が主な住まいとしていた。その部屋数は実に2500にのぼるという。
その一部は、現在大統領官邸や博物館として使用されている。

アマリア宮には、実質最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世の妃、エリーザベト(通称シシィ)の部屋には、運動器具が置かれていた。
美貌の女性と謳われ、身長173センチ、ウエスト50センチ(!!)のプロポーションを保つための努力がしのばれる。

王宮を見終えると、隣にはスペイン乗馬学校がある。
別にスペイン王室と関係があるわけではなく、発足当時スペイン産の馬を使っていたから、この名前がついたのだという。

日本人にはあまり乗馬は親しみが無いが、ヨーロッパ人には受けるらしい。
カラフルに塗られた馬の像をたくさん町で見かけた。

ハプスブルク家の人々146人の遺体が収められているカプツィーナー教会へ行く。
とはいえ、慣習により内臓はシュテファン寺院に、心臓はアウグスティーナ教会に納められている。
どういう思想の元、内臓と骨をばらばらに保管したのかは興味深いところだ。

ここの地下には王家の人々の棺がおいてある。
ひときわ大きな棺は女帝マリア・テレジアのもの。
彼女の権力と威光がしのばれる。

こちらのバング・アンド・オルフセンにはテレビもあるようだ。
かわいいが、高すぎる。

シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿とシュテファン寺院を見ずしてウイーンを語るかなれ、という言葉もあるように、ウイーンに来たからにはシェーンブルン宮殿にいかないわけにはいかない!

王宮=シェーンブルン宮殿と思い込んでいた事実は私の胸ひとつにしまいこみ、さっそうとシェーンブルン宮殿に向かう。

ちなみに、王宮は普段の生活場所、シェーンブルン宮殿は夏の離宮ということだ。

後にフランス革命でギロチンにかけられることになるマリー・アントワネットが15歳でフランス王家に嫁ぐまでここで育ったという。
ウィーン会議の際に、「会議は一向に進まず、ただ踊るのみ」の大饗宴の場になったのもここだし、ケネディとフルシチョフがホットライン条約を結んだのもここなのである。

グロリエッテよりシェーンブルン宮殿を望む。
こうしてみると小さいが、実際には言うまでもなくとても広い。
その作りはフランスのベルサイユ宮殿を意識したという。

宮殿の入り口で買うチケットには、時間が指定されており、その時間からしか入ることが出来ない。
私が行ったときはかなり込んでいる時間だと思うのだが、大体20分待ちと言ったところ。
入り口でガイドホンを渡され、説明にしたがって見ることが出来る。もちろん、日本語でガイドホンを聞くことが出来る。
観光大好き日本人の努力の賜物だ!バンザイ!

観光地というのは、大真面目に間の抜けたものが転がっていたりする。
でも、このシシィ人形は結構よくできていた。
私は人形というのになんとなく恐怖心を持っているので、もちろん買わなかったけれど・・・・。

庭園の端の丘にあるグロリエッテは、戦死した家臣たちを忘れぬために建てられた。
宮殿から近く見えるが、なんせ庭園が広いので、結構距離がある。
しかし、ここから見えるシェーンブルン宮殿は本当に美しい。
(写真2つ上)

グロリエッテについて20分ほどで、夕立が来た。
遠くで雷も鳴っていたが、雨は10分ほどでやみ、すぐに美しい空が広がる。
映画のような光景だった。

シェーンブルンから帰った後、オペラ座前から路面電車に乗ってリンクを一周し、荷物を預けている西駅へ。

本当はルーブル美術館と並ぶといわれる美術史博物館も見たかったのだが、時間がない。
どうせ1日では見られないのだから、と自分を納得させてウィーンを後にすることにする。

ウィーンからリンツへ

 19時34分ウィーン西駅発のリンツ行き列車に乗る。
電車はウィーン、リンツ、ザルツブルクしか止まらない特急のせいか、人は少なかった。

 ICは3つの席が向かい合った個室になっており、ガラス張りのドアをはさんで廊下が通っている。
原則として指定席はない。
なくても一人なら余裕で乗れる。
列車には車内販売もやってくる。

 私が一緒の部屋になったのは、色の黒いバックパッカーの女性と、OLのような女性。
OL風の女性は、30分くらいずっと携帯電話で恋人と思われる男性と話していた。
どこの国も一緒なのだな、とすこしおかしくなった。

 通じるはずのない自分の携帯電話をハンドバッグから出して見てみる。
もちろん「圏外」だ。
日本では大切につかっている携帯電話。
ここでは小さなプラスチックの塊。せいぜい時計の役割を果たすものに過ぎない、と思うと、不思議に思えた。
私が手にしているものは、何もかも遠くにあるのだ。
そう思うと、さびしい気持ちよりも、なぜかリラックスした気持ちになれた。

リンツ到着。お宿を探せ

 リンツに到着。
すでに日は暮れている。21時だから当たり前といえば当たり前なんだけど・・・。

リンツは大きな町と聞いていたのだが、リンツ駅はなんだか急ごしらえのような駅だ。
なぜだろうと思っていたら、現在新しい駅を造営中とのこと。
近々、近代的な駅に生まれ変わるのだそうだ。
なるほど、なるほど。

 リンツはただ通過するつもりだったので、ガイドブックに載っていた駅近くのビジネスホテル「イビスホテル」に宿を取ろうと思い、フロントに聞いたところ、今日は満室とのこと。
なんと!!
こんな事態は予想していなかった。
大体にして私はリンツをなめすぎていたようだ・・・・。反省。

 知らない町で宿無し、しかも夜・・・。
さびしいことこの上ないが、しょげている場合ではない。
駅のインフォメーションセンターで宿を紹介してもらおうと思ったのだが、当番のおばさんは帰り支度中で、パンフレットを渡されただけだった。とほほ・・・・

 パンフレットを頼りに、よさそうな宿を探す。
悪いことは重なるもので、コインしか使えない公衆電話にもかかわらず、私はコインを2枚しかもっていなかった。
 駅近くではないが、路面電車で15分ほどの町の中心広場にあるホテルに電話をかける。
ここがだめならコインはあと1枚・・・・。
時刻はすでに22時を過ぎている。
長く話してしまってはタイムアウトだ。
緊張が走る。

 電話をかけ、部屋が空いているかたずねたところ、もちろん歓迎しますとの答え。ほっとする。
 このホテルはとてもよかった。
フロントのおじさんはきれいな英語を話すし、とても親切だ。
「日本に電話をかけたいのですが」
というと、丁寧にもかけ方を書いたメモを渡してくれた。
 「もし、タクシーに乗ったらこういって帰ってきなさい」というメモもくれた。
 心細かっただけに、親切が身にしみる。
ありがたやありがたや・・・・・

 このホテルはハウプト広場という町の中心の広場に面している。路面電車の駅も目の前だし、レストランやカフェもたくさんある。
町の中心なので、常にパトカーが止まっているので安全だ。
(別に事件ではなく、単に見回りのため)
結果的にとても便利だった。

 明日はいよいよ、この旅の最大の目的地、ハルシュタット。
まだまだ旅は始まったばかりだ!!

☆この日泊まったホテル
Austria Classic Hotel Wolfinger

フロントのおじさまがすごく親切でした。
深夜に突然電話して飛び込んだ私を温かく笑顔で迎えてくれた紳士でした。
ありがとう、おじさま!

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